健康は心も身体もバランスよく過ごせること。オーク21で身体を元気満タンにしたら、次は心にサプリメントを注いでみましょう。あなたのライフスタイルがより充実するこんな京都タイムは、いかが?
第2回 オーク21ぐるりレトロ建築体感
京都に多数存在しているレトロな建築物の中でも、オーク21から歩いてまわれるスポットを年号別にご紹介します。懐かしさと新鮮さを、ぜひ体感してみて下さい。
明治の京都を体感! 大正の京都を体感!
昭和の京都を体感!
明治の京都を体感!---日本最古の商業建築
| 旧家邊徳時計店(現:京都ダマシンカンパニー) |
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| 現在は洋服屋になっている。
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所々に施された細工が美しくて素敵。
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歴史的な建築が並ぶ京都三条通でも、ひときわ異彩を放っているレンガ造りの建物。
それが、旧家邊徳時計店(やべとくとけいてん)です。
建てられたのは、復興の気運高まる明治23年。
当時は3階建てで時計塔もあり、市内でもっとも高い建物だったので、さぞかし人々の目をひいたことでしょう。
正面には三連アーチが施され懐かしさを感じさせるレトロな建物ですが、注目してほしいのは1階の螺旋階段に連接している金庫です。
内部は6畳で、当時は貴金属類の保管場所になっていたために、厚さなんと25センチ!の扉には、明治洋画界の創始者である田村宗立の修学院離宮の油絵が、じかに描かれています。
国家予算が3300万円の時代に総工費1万円といいますから、初代家邊徳之助氏の意気込みがうかがえますね。
現存する民間の洋風建築では、全国でもっとも古いこの建物。
明治の京都商人の心意気を平成の今に伝えています。 |
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| Data |
旧家邊徳時計店(現:京都ダマシンカンパニー)
京都市中京区三条富小路東入ル
1890年(明治23年)
レンガ造2階(鉄筋入) 設計者不明
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京都は明治維新による東京遷都で、衰退の危機にありました。
人々はなんとか自分たちで京都を建て直そうと、果敢に復興事業を展開。
明治23年に琵琶湖疏水が完成し、発電所からの電気で多くの工場が稼動、明治28年には京都の街を電車が走るようになりました。
そして東京以外では初めて京都で行なわれた内国勧業博覧会は大盛況。
先端の近代産業が導入された京都が、再び活気を取り戻していった時代でした。 |
明治当時の家辺徳時計店。 |
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大正の京都を体感!---おしゃれな白いビルを探せ!
かつて、日本の貯金王といわれた牧野元次郎が設立した不動貯蓄銀行京都支店。
現在、若い人たちに近代洋風建築が注目されるきっかけにもなった、現SACRAです。
外観はルネッサンス風に幾何学的装飾を施したセセッションという様式で、正面を見上げると銀行のマークと思しきオブジェが、現在も掲げられています。
一見、鉄筋コンクリートのようですが、実は1階がレンガ造り、2階から上が木造になっており、釘も1本も使わずに建てられているそうです。
その証拠に階段が途中で木製に変わり、歩くと軋む音がします。
銀行は、昭和恐慌の時に閉店。繰り返し再生し続ける建物に、激動の時代を生きた人たちの夢のあとが垣間見えます。 |

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| Data |
旧不動貯蓄銀行京都支店(現:SACRA)
京都市中京区三条富小路北西角
1916年(大正5年)頃竣工
1階レンガ造 2・3階木造 日本建築株式会社設計 |
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近代化に成功した京都は、大正に入ると第一次世界大戦の特需景気に湧きました。
人口も急激に増加し、大正7年には周辺の16町村が京都市にされ、これにより市の面積は2倍以上に拡大。郊外に住宅地ができて農村部の都市化も進んでいきました。
一方、市街地では明治期には公共施設が中心だった洋風建築が商業施設でも盛んに建てられ、まちの風景が次第にモダンな姿に変わっていきました。 |
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昭和の京都を体感!---懐かしい匂いに誘われて
| 旧明倫小学校(現:京都芸術センター) |
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回廊にはスペイン風アーチ、階段手すりの親柱には模造大理石など凝った趣向が印象的な旧明倫小学校。
緊急時に子どもが逃げやすいよう設置したといわれるスロープなど機能的工夫も随所に見られます。
学区が運営し、生活が豊かで教育熱心な住民が多かった室町の明倫小学校は、昭和6年鉄筋コンクリートの校舎に改修されました。
そして小学校の統廃合により、現在は京都芸術センターとして、若い人を中心に芸術家を育てる場所に生まれ変わりました。
懐かしい教室での喫茶店でお茶をすることもできますし、展覧会や演劇を観ることもできます。
懐かしさ漂う空間と、今を感じさせる芸術が、同時に満喫できる場所です。
鼻をくすぐる床油の匂いがなんとも懐かしいですよ。 |
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昭和3年、昭和天皇御大典が京都御所で行なわれ、京都中が祝賀ムードに包まれました。
烏丸通や河原町通などのメインストリートは塗装工事や街路照明が整備され、市営バスが営業を開始。民家にはお祝いの幕や提灯が飾られました。
昭和6年、27市町村を合併した京都市は7区となり、翌7年には人口が100万人を超える大都市に。
和風住宅内の一部に洋館の応接間をしつらえるなど、洋風建築指向が市民の暮らしの中にも浸透してきた昭和初期。
ここから第二次世界大戦や高度経済成長期など、激動の昭和が始まるのです。 |
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